最近でこそアジア諸国では全体に、目元のぱっちりした人が増えてきましたが、かつては中国にしても韓国にしても、もちろん日本でも「切れ長」「細目」「吊り目」「一重まぶた」というのが一般的でした。ぱっちりした二重瞼はそれだけに希少で憧れのまとであったわけです。眼瞼下垂や下眼瞼下制の技術を持った美容外科が存在しなかった昔、たとえば明治期から戦前にかけての日本人の写真などを見ると、見事に「細目」「吊り目」のパターンで統一されているかのようです。
幕末期に撮影された維新志士たちの肖像写真を見ると、きりっとした男前揃いではあるのですが、やはり現代日本人とはかなり印象が違います。最も大きな違いはやはり目元でしょう。一重で切れ長の、吊り気味の目元が、彼らサムライの厳しさを表しているようです。現代の時代劇俳優はこうした雰囲気を出すために、羽二重で目尻を吊り上げたり、アイラインを吊り気味に引いたりすることで対処しています。美容外科の下眼瞼下制はちょうどこの逆を行っているわけです。
美容外科の歴史では比較的初期から二重瞼の治療というものが行われてきましたが、日本人の顔の骨格、目元の筋肉構造や脂肪のつきかたによって、ただ二重にしただけでは、いわゆるぱっちりした目元というのはなかなか難しかったようです。特に、自然な目元をという意味では、明らかに現在の美容外科の技術が数段勝っています。手術の方法そのものにも大きな改良がなされ、仕上がりの美しさには驚かされます。特に下眼瞼下制や眼瞼下垂の技術については、我が国の美容外科は世界でもトップクラスです。
下眼瞼下制の治療は一言で言えば「たれ目を創る」手術です。美容外科における目元の治療ではこの他に二重を創ったり、奥二重をすっきりさせたり、小さく細い目を大きく開いたり、たれ目を逆にきりっと吊り上げる治療がありますが、下眼瞼下制で目指すところはぱっちりとしながらも優しさやわらかさを表現できる目元づくりにあります。特に女性の場合、下眼瞼下制によって得られる柔らかさは性格の柔和さまで表現してくれるので、大きなポイントアップにつながるわけです。
そうは申しましても顔のパーツの大小・配置は人それぞれですから、誰もがきっちり同じようなたれ目にすれば美しく整うとは限りません。やはり個人差によって、どの程度下瞼を押し下げればバランスよく美しい目元になるかが変わってきます。下眼瞼下制の治療ではドクターとユーザーとが事前に徹底的にミーティングを行って、その人の個性に合った、もっともふさわしい目元を創るためのプロジェクトが組まれるのです。